ブッダの専属の従者になる
ある日、ブッダは居並ぶ弟子たちに静かに語りました。「私も年老いてきた。体力も衰え、最近は侍者がいればと思うことが増えてきた。皆で私の侍者に相応しい者を選んでほしい。そうすれば、その侍者が私の日々の世話をし、私の説法を記憶してくれるだろう」
五十五歳となったブッダの言葉に、長老たちは互いに顔を見合わせました。ブッダの侍者になることは大変な名誉であると同時に、重責と献身を必要としたのです。
これまでもブッダに幾人か付き人はいましたが、適任者はいませんでした。かつて比丘ナーガパーラが付き人になったときには、次のような滑稽なエピソードがあります。
あるときブッダは雨の夜を経行(歩く瞑想)をしていました。初夜過ぎになってナーガパーラは師に帰るように促しましたが、ブッダは黙然と経行を続けました。さらに中夜を過ぎて後夜に及んでも、ブッダは部屋に戻りませんでした。
困り果てたナーガパーラは頭から布を被って、暗闇の中からお化けの真似をして気味の悪い声をあげてブッダを怖がらせようとしました。そして翌日こっぴどくブッダに叱られた、というエピソードがありました。
長老たちの中から、「世尊、私がその役を拝命したく存じます!」とアンニャー・コンダンニャが名乗りでました。彼はブッダの苦行時代の仲間で、最も経歴の長い仏弟子です。
「コンダンニャよ、申し出は大変嬉しいが、そなたも私と同じく年を取った。そなたもまた侍者を持つべきだ」とブッダは優しく答えました。他の長老たちも名乗りを上げましたが、ブッダは肯きませんでした。
「師は誰を侍者としてお望みなのだろうか?」モッガラーナは神通力を用いてブッダの心を探りました。そして「おお、そうであったか!」と膝を打ちました。
ブッダの意中の者を知ったモッガラーナは、サーリプッタや他の長老たちにこれを伝えました。「なるほど、その者なら聡明で謙虚、穏やかで従順、そして献身的で思いやりがあり、理想的な侍者の資質を兼ね備えている」と皆が賛同しました。
一同は静かな足取りでアーナンダの元へと訪れました。モッガラーナが敬意を込めて言いました。「友アーナンダよ、師はそなたが専属の侍者となることを願っている。師の日常の世話をし、師が説かれた尊い教えを記憶してほしい」
アーナンダは目を伏せ、思い悩むように言葉を返しました。
「モッガラーナ尊者、それはとても畏れ多いことです。私のような未熟者が世尊のお世話をする資格など…」とアーナンダは辞退しようとしました。
サーリプッタは彼を説得しました。「アーナンダよ、師の教えは尊い。私たちの使命はその教えを守り、後世に伝えることだ。しかしこの二十年間、私たちの不注意でブッダの教えの多くが失われてしまった。だがそなたには比類のない記憶力がある。後世のため、そして教えを守るためにも、師の侍者となってくれないだろうか?」
アーナンダはしばし沈黙してから「もし私の三つの願いを叶えてくださるなら、この重要な役割をお受けいたします」と答えました。
彼の願いとは、自己の利益を一切求めないものでした。
(一)ブッダに供養された衣を、新旧を問わず、私は一切受け取りません。
(二)ブッダに供養された食事を、私は受け取りません。
(三)不適切な時には、私は決してブッダにお会いしません。
「ブッダの専属の侍者として、特別な恩恵を受けることもあるでしょう。しかし、私はそうした特権や恩恵を放棄したいのです」とアーナンダは述べました。彼にとって、ブッダのそばで仕え、その教えを聞くことだけが、この上ない幸せだったのです。これを聞いたブッダは、アーナンダの謙虚な願いを快く受け入れました。
アーナンダはその後、ブッダが入滅するまでの25年間、常にブッダの側を離れず、忠実な侍者として仕え続けました。ブッダはアーナンダの忠誠と能力を高く評価し、「教団内に問題があるときは、アーナンダ、サーリプッタ、モッガラーナの三人で解決せよ」と指示していました。
アーナンダは、その優れた侍者としての働きから多くの人から称賛されました。ブッダは次のように述べています。「アーナンダには、珍しい特徴がある。比丘たちがアーナンダに会うために近づくと、彼の存在だけで心が安らぐ。アーナンダが説法するときは、その言葉に心を奪われる。そして、アーナンダが沈黙していても、彼を見るだけで飽きることがない」と。
しかし、人望の集まる人ほど批判や妬みも集まるもので、アーナンダも例外ではありませんでした。ブッダの側に常にいる侍者としての役割から、他の比丘たちからの妬みや誹謗を受けることもしばしばでした。それでもアーナンダは常に謙虚さと優しさを失わず、ブッダの侍者としての務めに全力で励んだのです。
悪友と交わるな、善友と交われ
ある穏やかな昼下がり、アーナンダがブッダに「師よ、私は気づいたことがあります」と話しかけました。ブッダは微笑みながら「何だ、申してみよ」と応えました。
「私たちが善き友を持ち、善き仲間の中にあることは、この聖なる道の半分を成就したのに等しいのではないでしょうか」
ブッダはこう答えました。「アーナンダよ、二度とそのようなことは言ってはならない。善き友を持ち、善き仲間の中にあることは、この聖なる道の全てである」
ブッダはさらに続けました。「アーナンダよ、みなは、私を善き友とすることで、老いから自由になれる。病に打ち勝つことができる。死の恐れからも免れることができる。
アーナンダよ、このことを考えてみても、善き友を持ち、善き仲間の中にあるということが、この聖なる道の全てであるという意味が、よく分かるではないか」
アーナンダもまた『善き友』でした。教えを聞こうと諸国から訪れる多くの人々を、彼は分け隔てなく迎え入れました。ブッダに倣い彼も、説法を求める人がいればどこへでも出かけました。
柔和で穏やかなアーナンダの法座には、常に多くの人々が集まりました。そのため、世俗の人々と関わりすぎると非難する比丘もありました。それでもアーナンダは善き友としての役割を果たし続けました。
毒蛇だ!
一昼夜続いた豪雨の後、ブッダとその弟子たちが托鉢に歩いていました。するとブッダがアーナンダに「そこに毒蛇がいる!」と警告しました。アーナンダは「師よ、まことに恐ろしい毒蛇です」と答え、弟子たちも次々と「毒蛇だ!」と叫びながらそこを避けて通り過ぎました。
近くの畑でそれを聞いていた貧しい農夫が、好奇心に駆られ毒蛇を見に行きました。すると彼が見たものは、土の中からむき出しになって燦然と輝いている金銀財宝でした。
「これはすごい。誰かが昔埋めたのが大雨で洗い出されたに違いない。これを毒蛇と間違うとはブッダも愚かな奴だ」と農夫は笑いました。
農夫は財宝を密かに持ち帰ると、大きな屋敷を建て、象や馬、牛や羊などの家畜を飼い、多くの使用人を使って贅沢な暮らしを始めました。このことは国中の噂になりました。彼は窃盗の容疑で役人に捕まり、尋問にも黙秘を続けたため、ついには死刑を宣告されました。
農夫は「嗚呼、ブッダの言葉は本当だった。あれは間違いなく毒蛇だった」と激しく嘆き悲しみました。
やがて刑場に到着し、命を断たれようとした時、使者が飛び込んで来て「アジャータサットゥ王が呼んでいる」と伝えました。
宮殿で王は尋ねました。「お前が刑場に行く途中、世尊や毒蛇のことを口にして嘆いたそうだが、それはいったい何のことか?」
農夫から詳しく話を聞いた王は、「まったく世尊の言われる通りだ。財宝は毒蛇のようなものだ。よくぞこの尊い教えを聞かせてくれた」と涙しました。
農夫は釈放され、没取された財宝は仏法を広めるために使われました。
アヌルッダの法衣を縫う
盲目の長老アヌルッダの法衣がいよいよボロボロになり、修繕不可能な状態でした。それを見かねたアーナンダは比丘たちの房舎を回り、アヌルッダの法衣を縫う手伝いを頼みました。
ブッダがこのことを知ると、「アーナンダよ、どうして私にも頼まないのか?」と尋ねました。「師よ、あなたにこのような雑事をお願いするのは畏れ多いと考えまして」とアーナンダは答えました。しかしブッダは、「何を言うか。喜んで私も手伝おう」と立ち上がりました。
ブッダが率先して針を持つということを聞き、「我も、我も」と大勢の弟子たちが布を持って集まり、法衣を縫い始めました。
アーナンダはこうして出来上がった三組の法衣を持ってアヌルッダの部屋を訪ねました。「アヌルッダ尊者、世尊をはじめ比丘たちの手による法衣です。どうぞお受け取りください」
「これは思いもかけぬこと。本当にいただいて良いのか?」
「もとより、尊者のための法衣です」
「つつしんで頂戴します。三組もあれば、我が生涯において法衣の心配はない。アーナンダよ、世尊を始め皆に御礼を申し上げてください」とアヌルッダは歓喜しました。
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