ホーリーマザーの一日のルーティン
師の没後、ホーリーマザーは34年間、この世に留まりました。彼女は弟子や信者たちの奉仕や指導に生涯を奉げました。
マザーはカルカッタと故郷のジャイラムバティで生活を送りました。ときには聖地を巡礼し、ラーマクリシュナ・ミッションのセンターを訪問しました。
マザーがカルカッタに滞在したときは、彼女の最初の弟子であるヨーガーナンダが彼女に奉仕しました。ヨーガーナンダの没後はサーラダーナンダが彼女に仕えました。
マザーは怠惰さを好まず、規則正しい日課を守っていました。
彼女は毎朝3時に起床しました。主の御名を唱え、ラーマクリシュナのお写真に目を向けました。身支度をして瞑想しました。瞑想の日課は、体調がどんなに悪い時でも欠かしたことがありませんでした。
8時から1時間の朝の礼拝をしました。朝食を摂ってから沐浴をしました。慢性リウマチのため、ガンジス河に入るのは一日おきでした。
帰宅すると信者その他男女の群れが、マザーからイニシエーションを受けるために待ち構えていました。昼食を取るのは午後で、そこでようやく休息できました。しかしこの時間に多くの女性信者が訪れてくるのでした。
マザーは寝台に横になりながら彼女たちと会話しました。3時半には師へ礼拝をして、祈りを捧げました。5時半になると、女性たちが他の部屋に退き、男性信者が挨拶をしに入ってきました。
一枚の白い布で全身を覆ったマザーは、寝台の端に座り足をぶら下げて、挨拶を受けました。特別な質問がある者は、他の人が引き払ってから入室しました。個人的に知っている人とは直接話しましたが、それ以外は付き人が仲介しました。
夕方、聖堂で供物をささげた後、遅めの夕食を摂り、就寝するのは零時近くでした。食事はスパイスの少ない簡素なものでした。
『マザーの門番』サーラダーナンダ
1908年、カルカッタのウドボーダンにホーリーマザーの終の住まいとなる建物が完成しました。それはサーラダーナンダが個人的に借金をして建てたものでした。彼は師の愛弟子の一人で、ラーマクリシュナ・ミッションの事務局長を務めていました。
一階はラーマクリシュナ・ミッションの月刊誌の制作や印刷に使われ、二階でマザーとその親類が暮らしました。二階の聖堂にはラーマクリシュナの写真が安置されていました。
ホーリーマザーの神性が知れ渡るにつれて、時を選ばすにやってくる信者が列をなすようになりました。サーラダーナンダは自称『マザーの門番』として駐在し、訪問者一人一人をしっかりと見定め、彼女の生活を守りました。
マザーは言いました。「シャラト(サーラダーナンダ)がいてくれる限りウドボーダンで暮らせるでしょう。それ以外にわたしの責任を負ってくれる人は思い当たりません。あらゆる面でシャラトはそれができるのです。あの子がわたしの重荷を背負う者なのです」
サーラダーナンダはラーマクリシュナ・ミッションの任務を果たしながら、心血そそいでマザーに仕えました。彼は彼女の親類の面倒を引き受け、死の床にあったマザーの末弟の看護をして、姪のラードゥのために金の工面をしました。彼女の巡礼に同行し、ジャイラムバティなどでマザーが病気のときは彼が駆けつけました。
娘よ、お前は誰だい?
1906年、ホーリーマザーの母であるシャーマスンダリーが亡くなりました。彼女の弟子の一人は、シャーマスンダリーについて次のように語っています。
「おばあさんは、生まれつき徹底して簡素で愛らしいお方でした。牛の世話をして牛小屋の掃除をし、田畑で働く人々に食事をさせ、家族のために料理をし、そして米を脱穀してと、昼も夜も忙しくされていました。
それでもいつもほほえみを浮かべていました。平静を失ったり、人を非難したところを見た者はいません。われわれが『おばあさん』と呼びかけると、喜びにあふれていました」
シャーマスンダリーはときどき、娘サーラダーの隠しきれない神聖さに気づくことがありました。
そんなとき、彼女はこう言いました。「娘よ、お前は誰だい? わたしはお前の本性が分かっているのだろうか?」
ホーリーマザーの親類たち
ホーリーマザーはジャイラムバティの実家では、村の他の貧しい女性たちと同じようによく働いていました。貯水池から水を運んだり、脱穀したりと骨の折れる家事も行ないました。他の日課はカルカッタにいるときと同じようにこなしました。
マザーは敬虔な両親に恵まれましたが、他の身内はそうではありませんでした。長女のマザーには、弟が五人と妹が一人いましたが、弟二人と妹は若くして亡くなりました。
他の三人の弟たちの仲は険悪でした。彼らは心が狭く利己的で、誰が姉からお金を一番多くしぼりとれるか競い合っていました。
彼らに会った人は、これがほんとうにホーリーマザーの身内なのだろうかと、目を疑いました。あるとき、彼女はこう漏らしました。「彼らはいつもお金ばかり欲しがります。間違っても、智慧や信仰は求めないのです」
また、彼らの妻、そしてその娘たちは、互いに嫉妬しあい、些細なことでいつもいがみ合っていました。マザーが彼女たちをなだめるために示した忍耐は、筆舌に尽くしがたいものがありました。
亡き末弟の妻スラバラは、もともと精神不安定の兆候がありました。ある日、台所でばったりと泥棒に出くわしたことをきっかけに、本当に気が狂ってしまいました。スラバラは毒舌家でもあり、マザーに対していわれのない誹謗中傷をし続けました。
マザーはある日、こう言いました。「わたしの心は高く舞い上がりたがっています。あの人たちを気の毒に思うので心を地上に留めているのです。そしてその見返りといったら、罵倒と侮辱だけなのですから」
ホーリーマザーをつなぎとめる絆
師の死後、ホーリーマザーがこの世への興味を失くしていたとき、彼女はラーマクリシュナのヴィジョンを見ました。赤い着物を着た幼い女の子が目の前を歩いていました。師がその子を指さして、「支えとしてこの子にしがみついていなさい」と言ったのでした。
その数年後、故郷のジャイラムバティを訪ねたとき、マザーは気狂いのスラバラが歩いているのを見ました。そしてその後ろを、スラバラの幼い娘ラードゥが地面を這いまわっていました。
その哀れな様子を見たとき、マザーの中に、不思議な感情が沸き起こってきました。彼女はすぐにその場に飛んでいき、ラードゥを抱き上げました。
このとき、ラーマクリシュナのヴィジョンが再びあらわれ「地上におけるあなたの心の支えとして、この子にしがみついていなさい。この子がマーヤー(幻影)である」と告げました。
このとき以来ずっと、マザーはラードゥに深い愛情を示しました。しかし成長するにつれ、ラードゥは、気難しくて手に負えない娘になっていきました。
強情さと無邪気さが、そして狂気と素朴さが、奇妙にまじり合った性格でした。彼女は、頭の働きも鈍く、体も弱かったので、常にマザーの心配の種となっていました。
マザーはこう漏らしました。「ラードゥはこんなに成長しましたが、ほとんど分別がありません。師は彼女を通じてわたしに何という重荷をお与えになったのでしょう」
いわばマザーの心が完全にこの世を超えた世界に昇ってしまわないように、地上につなぎとめる絆だったのが、このラードゥでした。
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