サーリプッタ(シャーリープトラ・舎利子・舎利弗)とモッガッラーナ(目蓮)は、ブッダの二大弟子です。この二人はそれぞれ『智慧第一』、『神通第一』と称えられ、ブッダが在命中の仏教教団の発展に大きく貢献しました。
生い立ちから出家まで
サーリプッタはマガダ国の首都である王舎城近くのナーラカ村で、裕福なバラモンの家に生まれました。両親とも学問があり弁論に優れていました。彼の名前は、母の名前ルーパサーリーから取られ、サーリプッタは『サーリーの子』という意味を持ちます。
彼の性格は純朴で、慈悲深く、幼少からバラモンを初めとする宗教、哲学などの学問を修め、8歳にして既に彼の名声は四方に轟いていました。
一方のモッガッラーナは、コーリタ村の裕福なバラモンの家に生まれ、彼も群を抜いて聡明でした。隣村のサーリプッタとは幼少期から無二の親友でした。
ある日、サーリプッタとモッガラーナはラージャガハの祭りに出かけました。二人は歌や踊り、演劇などを観ていましたが、「これらすべては束の間の喜びに過ぎない」と強烈な虚しさを感じました。サーリプッタは祭りの喧騒を離れて、一人森の中に入りました。
「あの人たちは儚い幸せを求めて、歌ったり踊ったりして夢中になっている。まるで酒に酔っている間だけ、苦しみを忘れているようなものだ。また明日になればすぐ現実に戻ってしまう。
そしてもう百年もすれば、誰一人この世にいないのだ。これは他人事ではない。自分もこんな人生を送っていたら、あっという間に酔生夢死してしまう。人生の真の目的とは何だろうか?」
モッガラーナが後から追いかけてきました。二人は胸の内を明かして語り合いました。そして生死輪廻の解脱を求めて出家することを決意しました。
この当時、六人の新興宗教家が名を馳せていました。その中の一人、懐疑論者サンジャヤが250人の弟子と共にマガダ国各地を巡っていました。サーリプッタとモッガラーナは、彼のもとに弟子入りし修行を始めました。
非凡な二人はわずか一週間でサンジャヤの教えを体得し、サンジャヤの弟子たちを束ねるリーダーに任命されました。しかしながら、出家の目的である解脱は一向に得られませんでした。
二人はサンジャヤの教えでは満足できず、「もしどちらかが先に生死を超える境地(解脱)に達したら、必ず知らせ合おう」と誓っていました。
仏弟子アッサジとの出会いからブッダへの帰依まで
それから数年が経ったある日、サーリプッタはラージャガハの街で托鉢する一人の修行者に目を留めました。その修行者の立ち居振る舞いは端正で、気配りがあり、安らぎに満ちていました。彼は仏弟子のアッサジでした。
「ああ、この人は真の道を得ている!」とサーリプッタは思いました。
托鉢が終ると、彼はアッサジに近づき、敬意を表して尋ねました。「尊敬する修行者よ、あなたの心は澄んでおり、顔からは清らかな光が放たれています。あなたの師はどなたですか?」
アッサジは微笑みながら、「私は釈迦族出身の偉大な聖者に師事しています」と答えました。
「では、あなたの師の教えとはどのようなものですか?」とサーリプッタが問うと、
アッサジは謙虚に、「私は出家して間もないので、詳細には語れませんが、教えの要点を簡潔にお話ししましょう」と言い、次の偈を唱えました。
「すべての現象は原因から生じる
真理の体現者は、それらの原因を説きたもう
またそれらの滅尽をも説かれる
偉大なる修行者は、このように説きたもう」
この教えを聞いた瞬間、サーリプッタに真理を見極める澄んだ眼が開け、ある段階の解脱に達しました。彼はアッサジに感謝を伝え、急ぎモッガラーナのもとへ行きました。
モッガラーナは光輝くサーリプッタの姿を見て、「もしかして、君は真理の道を見つけたのか!?」と尋ねました。「そうだ、友よ! まさにその通りだ」とサーリプッタは経緯を語り、アッサジから聞いた教えを伝えました。それを聞いたモッガラーナもまた、その場である段階の解脱をしたのです。
「釈迦族の聖者のもとへ行こう。この方こそが私たちが求めていた師だ」と二人は決意しました。サーリプッタとモッガラーナは、サンジャヤの250人の弟子たちに尊敬されていたため、彼ら全員もブッダに帰依することを決めました。このことを聞いたサンジャヤは憤慨し、口から血を吐いたと言われています。
ブッダはサーリプッタとモッガラーナ、そして250人の修行者が来ることを察知し、弟子たちに告げました。「二人の友が来る。彼らは私の教えの中で輝く星となり、私の弟子の双璧となるであろう」
ブッダはこの二人をすべての弟子の上座に置き、絶対的な信頼を寄せました。サーリプッタは『真理の将軍』とも称され、しばしばブッダに代わって教えを説きました。彼は説法の内容についてブッダから咎められたことは一度もありませんでした。
また、ブッダの実子ラーフラの教育もサーリプッタに委ねられました。さらに、仏教教団の統率にも彼は優れた手腕を発揮しました。
サーリプッタは、自分に解脱への道を示してくれたブッダを終生敬愛し続けました。それだけではなく、彼はブッダとの縁を結んでくれたアッサジへの恩も忘れませんでした。アッサジがどこに住んでいようと、その方向に足を向けて寝ることは生涯なかったのです。
祇園精舎の建立
ブッダが布教をはじめてから三年、その間にカッサパ三兄弟とその1000人の弟子たちが仏教に改宗し、マガダ国王ビンビサーラやサンジャヤの弟子250人もブッダに帰依しました。
その頃、コーサラ国の裕福な商人スダッタ(アナータピンディカ)が、ブッダの教えに感激し、「ぜひコーサラ国でも布教していただきたい、その拠点となる精舎(寺院)を建立させていただきたい」と願い出ました。
そのために先発として遣わされたのがサーリプッタでした。コーサラ国は旧来のバラモンが勢力を持っており、その只中に新興宗教の精舎を建立することには、困難が予想されました。
サーリプッタとスダッタは、コーサラ国の首都サーヴァッティーで理想の土地を探しました。そしてジェータ王子が所有する美しい林が、都から適切な距離にあり、最も精舎にふさわしいと判断しました。
「金貨を敷き詰めた土地の分だけ、売ってやってもいいぞ」と戯れに言ったジェータ王子に応じて、スダッタが本当にすべての土地を金貨で覆ってしまった話は余りにも有名です。
土地を手に入れ、僧院の建立が始まると、バラモンたちが猛烈な反対運動を展開しました。「ゴータマの弟子が来ていると聞いた。そいつと我々が問答をして、我々が負けたら精舎を建ててもいい。しかし、我々が勝ったら建設を中止せよ」と彼らは主張しました。
問答の日、バラモンとその信徒たち、他宗教の信者や多くの一般聴衆が集まりました。高座の一方にはサーリプッタが、もう一方にはバラモンの代表として赤眼という修行者が座りました。
いざ向き合ってみると、赤眼は自分が叡智の炎の前に坐っていることに気づきました。彼は逃げ出すわけにはいかず、神通力でサーリプッタに挑みかかりました。赤眼が花樹をつくれば、サーリプッタが大風を起こしてこれを吹き飛ばし、彼が龍王をつくれば、サーリプッタが金翅鳥をつくってこれを調伏しました。
赤眼は潔く負けを認め、その場でサーリプッタに弟子入りを申し出ました。バラモンたちはあっけに取られ、聴衆はサーリプッタの威徳に感服しました。サーリプッタはいまが好機と『四つの聖なる真理(四聖諦)』を説き、多くの人々がその場で帰依しました。
スダッタは僧院の建築を進めましたが、一部のバラモンたちの憤慨は収まらず、サーリプッタの暗殺を企てました。暗殺者は職人として建設工事現場に忍び込みましたが、サーリプッタの慈悲に心打たれ、弟子になってしまいました。
サーリプッタが現場監督として有益な提案をなし、精舎には、清潔で実用的な修行道場、法話を聴聞する講堂、食堂、水場、沐浴所、トイレ、井戸、池といった一切の設備が整っていきました。
いよいよ準備万端となり、ブッダがサーヴァッティーに到着しました。ブッダはこの『祇園精舎』をたいへん気に入り、スダッタとサーリプッタの労をねぎらいました。
ブッダはすぐに教えを説き始め、コーサラ国王パセーナディが帰依するなど、仏教はコーサラ国中に広まっていきました。祇園精舎はブッダがしばしば滞在し、多くの貴重な教えを説いた場所として知られるようになります。
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