ラーマクリシュナの病気
1885年4月、ラーマクリシュナは喉に痛みを覚え、それは癌であると診断されました。病状が悪化したため、10月にシャーンプクルに、12月にカーシープルのガーデンハウスにラーマクリシュナは居を移し療養しました。
サーラダーはラーマクリシュナの看護に専念しました。特別の配慮がなされた彼の食事は、サーラダー自身が調理しました。ナレンドラ(のちのヴィヴェーカーナンダ)をはじめとする若き弟子たちが泊まり込みで、師の看病に当たりました。彼らの食事もサーラダーが担当しました。
ラーマクリシュナの食事が準備されると、彼らや信者たちは師の部屋を空けて、サーラダー自身が師の食事の介助ができるようにしました。出費は在家信者からの布施でまかなわれました。
ラーマクリシュナは一時的に復調したかに見えましたが、その後病状は再び悪化し、彼のがっちりとした長身の体はガリガリにやせ細ってしまいました。体の衰弱は進み、ほとんどしゃべることもできないような状態になりました。
しかしそれでも彼は、弟子や信者の求めを、絶え間なく満たしていました。身振り手振りと、ささやくような声で、教えを説き続けました。
ラーマクリシュナの死の直前、彼はサーラダーをじっと見つめて、批判するように言いました。「ねえ、お前は何もしないのかね。これ(師自身の事を指して)が全部しないといけないのかね」
サーラダーは抗議しました。「ですけど、女の私に何ができましょうか」当時のインドはまだまだ女性の地位が低く、サーラダー自身も特別に控えめな性格だったのです。「それは違うよ」ラーマクリシュナは言いました。「お前は多くのことをしなければならないだろう」
また別のとき、サーラダーがラーマクリシュナに食事を運んでくると、師は目を閉じてベッドに横になっていました。
「どうぞ起きてください。食事の時間ですよ」と彼女が言うと、師は、はるか遠い世界から戻ってきたような目をしながら、言いました。「カルカッタの人々をごらん。暗闇にもがく虫けらのようだ。お前が彼らに光明をもたらさねばならないのだよ」
また別のとき、ラーマクリシュナはサーラダーの前で歌われました。
「なんという重荷にわたしは耐えていることか
誰にわかってもらえようか
耐えている者だけがその重荷を知っている
どうして他の者に知ることができよう」
そしてサーラダーに言いました。「これはわたし一人の重荷ではないのだ。お前もともに背負わなければならないのだよ」
病の目的
医学治療に効果がないと見たサーラダーは、神に助けを求めようと決心しました。彼女はターラケシュワルのシヴァ寺院に行き、シヴァ神の取りなしによって妙薬が得られるまで、断食・不眠の苦行をすることにしました。
苦行三日目の夜、サーラダーは突然、土器が山のように積まれているヴィジョンを見ました。それはこん棒で打ち砕かれたかのように、大きな音を立てて粉々になりました。彼女の心に声が響きました。「夫とは誰なのか? 肉親とは誰なのか? 誰のために命を絶とうとしているのか?」
サーラダーはガーデンハウスに戻りました。彼女を見るなりラーマクリシュナは尋ねた。「さて、何か手に入ったかね。すべてはマーヤー(幻影)だ。そうではないかね」
ラーマクリシュナは次のように自身の病の理由を明かしました。「わたしはこうしたすべての苦難に耐えている。お前はそれを免れたのだよ。わたしが世の苦しみをこの身に引き受けたのだ」
ラーマクリシュナの最期
ラーマクリシュナ最期の日が来ました。1886年8月16日のことでした。ラクシュミーとともに部屋に入ってきたサーラダーを見て、ラーマクリシュナは言いました。
「お前がここにいてくれてうれしいよ。海を越えたはるか遠くの国に行くような気がする。とても遠いところだ」サーラダーは泣き出しました。ラーマクリシュナはサーラダーを慰めて言いました。
「なぜ思い煩うのだね? お前は今と同じように生きていくだろう。彼ら(ラーマクリシュナの弟子たち)がわたしにしてくれていることを、お前にもしてくれるだろう。ラクシュミーの面倒を見て一緒にいてやりなさい」
これがラーマクリシュナがサーラダーに語った最後の言葉でした。
夜半過ぎ、1時6分を回ったころ、ラーマクリシュナはハッキリとした声で、最愛の神カーリーの名を三度唱えられると、深いサマーディに入りました。そしてその後、二度とその肉体に魂が戻ることはありませんでした。
枕元に立っていたサーラダーは泣き叫んで言いました。「母よ! おお、カーリーよ! わたしが何をしたというのでしょう。わたし一人をこの世に残して逝かれてしまうなんて!」
サーラダーはこのように泣き叫びましたが、すぐに自分を制すると、自室に戻り、厳粛な沈黙に入りました。
ラーマクリシュナ現われる
ラーマクリシュナはその翌日に、サーラダーの前にヴィジョンとして現われ、こう言いました。
「わたしがどこへ行ったというのだね? わたしは今ここに、お前の前に立っているではないか。一つの部屋から別の部屋に移っただけなのだよ」
サーラダーが再び平安を見い出すように、ラーマクリシュナの在家信者であったバララーム・ボースは、彼女を巡礼の旅に誘いました。サーラダー一行は北インドの聖地をまわりました。
クリシュナゆかりの聖地ヴリンダーヴァンに到着したサーラダーは、師の弟子で、彼女の腹心の友であり、ラーマクリシュナの死に目に会えなかったヨーギーン・マーと再会しました。サーラダーは、「おお、ヨーギーン!」と言って彼女を抱きしめ、二人で泣き叫びました。
サーラダーはヴリンダーヴァンで、修行に没頭し恍惚の中で日々を過ごしました。ヨーギン・マーと一緒に瞑想していたサーラダーは、目を開けた状態であまりにも深く瞑想に没入するあまり、目玉にハエが止まっていても気づかず、目を傷めてしまったことがありました。
サーラダーはしばしば深いサマーディに入り、動かなくなりました。師の弟子たちが彼女の心をこの世に引き戻そうと、神の名やラーマクリシュナの名を繰り返し唱えました。するとサーラダーは通常意識へと降りてきました。
こうした法悦状態にあるときのサーラダーの声や話し方、食事の仕方、歩き方、そして身のこなしは、ラーマクリシュナそっくりになるのでした。こうして師の弟子たちは、ラーマクリシュナとサーラダーが一つであることを感じたのでした。
またあるとき、サーラダーはサマーディに入ったまま二日近くを過ごしました。この経験の後、サーラダーは、非常に大きな変貌を遂げました。常に至福に浸り続けているようになり、すべての悲しみや嘆き、ラーマクリシュナとの別離から来る喪失感などが消え去りました。
初めてのイニシエーション
ある日、ラーマクリシュナのヴィジョンがサーラダーの前に現われると、ヨーガーナンダにイニシエーションを与えるように言いました。その際のマントラまで教えました。ヨーガーナンダは、ラーマクリシュナの若い弟子で、巡礼のメンバーでした。
サーラダーはこのヴィジョンは自分の錯覚だと思いました。それでも三日間、このラーマクリシュナのヴィジョンは続きました。三日目にサーラダーは、師に向かって言いました。「ヨーギン(ヨーガーナンダ)とは話すこともありません。どうしてわたしにイニシエートができましょうか?」
もともとヒンドゥー教の伝統では、人妻は他の男性とあまり関わることなく生活するのでした。しかも慎み深いサーラダーが、男性であるヨーガーナンダと二人きりになるシチュエーションなど考えられなかったのです。
すると師は、「イニシエーションのときには、ヨーギーン・マーにも一緒にいてもらうように」という指示を出しました。そしてなんと、ヨーガーナンダ自身も同じ指示を師から受けていたのでした。
こうしてとうとう、サーラダーはイニシエーションを与え、ヨーガーナンダは彼女の最初の弟子となりました。これがサーラダーの、ホーリー・マザー(聖なる母)と呼ばれる、偉大なる師としての新しい人生の幕開けとなりました。
結局サーラダーは、一年近く、このヴリンダーヴァンにとどまりました。その間サーラダーは、時計のように規則正しく瞑想を続けました。それにより多くのヴィジョンやサマーディを経験しましたが、そのほとんどは、全く口外されることがありませんでした。
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