【頭陀第一】マハーカッサパ(大迦葉)の物語(上)

仏教

『頭陀第一』マハーカッサパとは?

マハーカッサパ(大迦葉だいかしょう摩訶迦葉まかかしょう)は、ブッダの十大弟子の一人です。清廉潔白で非常な厳格さを持った聖者として知られています。特に『頭陀行ずだぎょう』の実践者として厳しい修行と禁欲的な生活を送リました。ブッダからは『頭陀第一』と称えられています。

マハーカッサパは、身の回りの物質的なものに依存せず、厳しい自然環境の中でも心を乱すことなく、ブッダが説く理想を追求し続けました。

さらにブッダ亡き後にマハーカッサパは、『第一結集けつじゅう』と呼ばれるブッダの教えと戒律を編纂する会議を主催し、仏法を正しく後世に伝える歴史的にも重要な役割を果たしました。その後もブッダの後継者として仏教教団を統率しました。これからマハーカッサパの生涯についてさらに詳しく見ていきましょう。

出生から結婚まで:天衣と黄金の美人像の不思議

マハーカッサパはマガダ国の大富豪であるバラモン家庭に生まれました。臨月を迎えた彼の母が広大な邸宅の庭にある大きなピッパラ樹(菩提樹ぼだいじゅ)の下で休んでいたところ、天から一枚の天衣が舞い降り木の枝に掛かりました。これを目撃したときに母は息子を産みました。赤児はピッパラヤナと名付けられました。


ピッパラヤナは多くの世話人に囲まれ、愛情を込めて育てられました。8歳でバラモンとしての戒律を受け、聡明な彼は宗教の教えや学問、算術、文学、占星術、音楽など多岐にわたる技術を短期間で習得しました。しかしピッパラヤナは世俗的な喜びには興味を示さず、早くから出家への強い願望を抱いていました。

成人したピッパラヤナに両親は結婚を勧めました。純粋な生活を望んでいた彼はそれを断り続けましたが、家系が途絶えることを恐れた両親は許してくれません。困り果てたピッパラヤナは一計を案じました。

工匠に黄金で造られた美しい女像を作らせ、「この像にそっくりな女性がいたら、その女性と結婚しましょう」と提案しました。この無理難題で両親が諦めるかと思われましたが、両親は四方八方に手を尽くし、実際にその美しい女性、バッダー・カピラーニ(妙賢みょうけん)を見つけ出したのです。

ところが何と、バッダー・カピラーニもまた出家を望んでいることがわかり、二人は親孝行のために形だけの結婚をすることに決めました。この結婚は二人の精神性を反映したもので、世俗を超えた結びつきとなりました。

ピッパラヤナとバッダー・カピラーニの出家物語

新郎新婦は、お互いの身体に指一本触れないという誓いを立てました。夫婦の寝室にベッドは一つしかなかったため、夫が寝ている時はバッダー・カピラーニが室内を歩き回り、妻が寝ている時はピッパラヤナが同様にしていました。


ある夜、ピッパラヤナは一匹の毒蛇がベッドの下に潜んでいるのを発見しました。寝ている妻の片手がベッドから垂れ下がっていました。彼はバッダー・カピラーニを守るために自分の手を衣服で覆い、妻の手を静かにベッドの上に戻しました。

突然の接触に目を覚ましたバッダー・カピラーニは最初戸惑いましたが、ピッパラヤナが事情を落ち着いて説明すると、彼女は安堵しました。この一件は二人の信頼を一層深める結果となりました。

このようにして12年の歳月が流れました。その間に両親は亡くなり、ピッパラヤナは家を継ぎました。

ある日のこと、バッダー・カピラーニが使用人たちに胡麻油を絞るように指示しました。天日に干した胡麻から無数の虫が這い出てくるのを見て、使用人たちは気味悪がりました。「こんなにたくさんの生き物を殺してしまったら、どんな重い罪になるだろうか?」

この言葉を聞いたバッダー・カピラーニはショックに打ち震え、直ちに作業を止めさせました。それから部屋に籠もって思索にふけりました。


一方、ピッパラヤナは小作人が牛を使って田畑を耕しているのを見回っていました。そこでたくさんの生き物が踏み潰され、鋤に切断されて死んでいくのを目の当たりにします。彼は自身の行いに疑問を持ち始めました。「生活に必要な糧は十分すぎるほどあるのに、どうしてこんなに多くの生き物たちを苦しめてしまうのか?」と自問自答しました。

家に帰ると、妻も同様に深刻な表情で彼を迎えました。お互いにその日の出来事を語り合った後、二人は出家を決意しました。財産のすべてを人々に分け与えた後、剃髪ていはつし、出家衣を繕い、鉢を持って修行者としての第一歩を共に踏み出しました。

二人は途中まで同じ道を歩みましたが、修行者として男女が一緒にいるのはふさわしくないと考え、別れ道でピッパラヤナは右へ、彼女は左へと進みました。それは、偶然にもブッダが菩提樹の下で悟りを開いた日だと言われています。

師と弟子:マハーカッサパのブッダへの帰依

ブッダは悟りを開いた後、まず鹿野苑ろくやおんで五人の苦行者に法を説き、カッサパ三兄弟とその弟子1000人を迎え入れました。それからマガダ国の首都ラージャガハでビンビサーラ王の帰依を受け、竹林精舎が寄進されました。さらに教祖サンジャヤの元からサーリプッタ、モッガラーナと250人が弟子入りしました。

その間、ピッパラヤナは師を探し求めて遍歴していました。やがて釈迦族出身の目覚めた人、ブッダの噂を耳にしました。ブッダが王舎城の竹林精舎に滞在していることを知ると、ピッパラヤナはその地へと急ぎました。

ブッダも神通力で彼の到来を感じ取り、「彼の過去の善行が今、熟している」とピッパラヤナを迎えに出かけました。

ピッパラヤナが王舎城の近くまでやってくると、ほこらの近くの大樹の下で坐法を組んでいる聖者を見つけました。その円満なる風貌から一目でブッダだと分かると、彼は即座にブッダの足元にひれ伏しました。

「世尊、あなたは我が師、私はあなたの弟子でございます」
「そなたは真に我が弟子である。私はそなたの師である」
とブッダは厳かに答えました。

こうしてピッパラヤナはブッダの弟子となり、カッサパと名前を改めました。カッサパ三兄弟などブッダの弟子には同じ名前の方が何人かいたので、「偉大な」という意味の「マハー」が付いて、マハーカッサパと呼ばれるようになりました。

ブッダは、『四つの聖なる真理(四諦したい)』、『十二縁起』などの基本的なところから順をおって彼に直接指導し、八日目にマハーカッサパは悟りを開きました。

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